受験生 ~ 自分の弱い心と闘う

第1志望校の入試当日。試験会場で会ったA君の顔はややこわばっていた。無理もない。彼はこの学校に進学したくて長年勉強してきたのだ。

1時間目はA君の得意な国語。ところが思ったように解けない。その違和感は時間の経過と共に焦りへと変わっていった。結局、何が何だかわからないうちに1時間目の試験は終了。過去問演習でも一度もなかった大失敗。A君は一瞬「もうダメだ」と思ったと言う。

前日、生徒たちにこんな話をした。「1時間目の科目で大失敗をした。そんな時どう思う?」「へこむ」「やばい」「落ち込む」と口々に答える。「でもな、そこであきらめたらおしまいなんだよ。残る科目で全力を出し切るんだ。最後の1秒まで投げ出さないこと。悔いだけは残してくるな」そう言ってみんなを送り出した。

A君は休憩時間にそれを思い出した。悔しくて、情けなくて、もうやめたいけど、あきらめない!最後までやりきろう!と腹をくくった。

彼は全力を尽くすことだけ考えた。昼食は母親と二人で過ごしたが、「あと1教科。集中したいから」とだけ言って黙々とお弁当を食べて、教室へ戻っていった。

最後の教科算数が終了。A君はそのまま塾にやってきた。翌日、第2志望の受験が残っているので勉強したいと言う。彼の戦いはまだ終わっていない。

翌日、まだ試験を受けている最中に、第1志望校の合格発表。結果は合格。試験を終えてA君はすぐ報告にやってきた。

「国語で大失敗しけど、先生が言ったとおり、最後まであきらめなかった。あれが良かったんだね」そう言うA君の目は澄んでいた。

合格と不合格。受験にはその二つの結果しかない。だが、敵はライバルの受験生では決してない。自分に克つこと。逃げ出したくなったり、あきらめてしまいたくなったりする自分の弱い心と戦うことを学んで欲しい。そんな経験をさせることこそ大人の役目だと思う。

過剰な親心 ~ つまずきは成長に不可欠

テスト一週間前のこと。「先生、今度のテストに向けてこれだけやっとけばいいって感じのプリントください。」と小学六年のA君。僕がけげんそうな顔をしていると、「母さんが先生に頼んでもらってこいって言うから」と言葉を続けた。

聞けば、「テストは準備が大切」と母親に言われ、どうテスト準備をするのが効果的かと親子で話し合ったという。ここまではえらい。ところがいくら額を合わせて考えても名案は思い浮かばず、先生ならオールインワンの「これだけプリント」みたいなものを持っているはず、という話になったらしい。

実は、テスト前になると「これだけプリント」を求めてくる生徒が少なくない。多くの場合、子どもの後ろに「きいてごらん」と子どもを後押しする親がいるようだ。子どもをできる限りサポートしてやりたいという熱心な親ではある。が、熱心が過ぎて、数字で見える結果ばかりが気になってしまう。

子どもが「良い点を取りたい」と思うのは良いことだし、親が「良い点を取らせてやりたい」と願う気持ちも分かる。だが、テストを受ける前に、「そっくりな問題」をやって高得点を得たところで、どれだけ意味があるのか。結果が良ければ自信になり、向学心も高まるという点は否定しないが、安易に点をとる術だけを身につけても正しい勉強法を体得したとは言えない。

どんなにできる子であっても「常勝」はない。どこかでつまずき痛い思いをしながら、次には失敗しない方法を考えようとするから、伸びていくのだと思う。

ところが、最近はそのつまずきを「ムダな労力」と考える親が増えていないか。無理なく無駄なく学ばせたいとの思いが高じて、成長に必要な負荷や経験まで省力化するのはマイナスでしかない。

「これだけやっとけば大丈夫」というような魔法の特効薬などあるはずがない。ないものねだりするのはよして、あえてわが子に一言言ってやってほしい。「手間を惜しむとあとで泣くぞ」と。