|
塾講が語る『秘伝』 |
|
|
第十巻
国語 其の三“『読解力』ってヤツ その1” |
「センセ、うちの子、『読解力』がなくって、困っているんです。やっぱり『読む力』って、全部の教科に通じるでしょ?
国語が出来ないと算数の文章題もできないし……。『読解力』をつけるにはどうしたらいいのかしら?」
よく受ける質問であり、また、多くの保護者の頭痛のタネになっている、この『読解力』。
文章読解ができる(得点できる) →国語ができる
文章読解ができない(得点できない)→国語ができない
……という単純な図式は誰でも持っていらっしゃるのではないでしょうか。では、国語が「できる/できない」を左右する「読解力」とは、一体どのようなものなのでしょうか。これから数回にわたり、この「読解力」について、国語のリレーコラムを続けたいと思います(いつまで続くかは、ご要望次第!?
デス)。
まず、原点に立ち戻って、「『読解力』とはなにか?」というところから、考え方を確かめてみましょう。
皆さんなら、『読解力』を、どのように定義づけますか?おそらく、「文章を読んで、理解する力」と、ストレートにお答えになるのではないでしょうか。当たり前と言えばあまりに当たり前で、単純明快な解答。ただ、ココですでに捉え方による「ズレ」が生じているのも確かです。
子どもたちは(モチロン大人である親もそうですが)、文章を読む時、少なからずパワーを必要とします(個人差は当然あります)。ひらがな・カタカナ・漢字・数字、時にはアルファベットまでを駆使して組み立てられた文章を、目で追い、内容を吟味し、組み立てていかなければなりません。コレって、言い方は多少大げさかもしれませんが、ウソではないですよね?
何が言いたいかというと、目に触れた文章の方から、勝手にアタマに入ってきてくれるのでは決してない、ということ。例えば、仕事や運動などで疲れていて「読んでもアタマに入らない」という経験は誰しもあるものでしょう。バーコードを機械が読み取るように、目に触れた文章の方から頭の中に入ってきてくれるわけではありませんね。
このように考えてくると、『読解力』に対する考え方が、次のように切り替わるのではないでしょうか?
読解力とは……
読んで理解する力 → 読んで理解しようとする力
まず、文章を読んで、「理解しよう」という大前提がなければ始まりません。この土台がないところに、「読解力がない」と嘆いても仕方ありませんよね。ないものはないのですから。
そういう風に腹をくくった上で(くくる必要のない子もモチロンいますよ、念のため)、どんな力をつけさせたいかを、もう一度考えましょう。
このメルマガをお読みの多くの方が「子どもの受験を考えている(あるいは考えていた)」方でしょう。そうであるならば、国語のテストで(試験で)、満足のいく点数を取りたい、という目標があるハズ。ならば、話は簡単。まずは、「何を/いつ/どれくらい/どのように」やるかを、あせらず、じっくりと考えていきましょう。
ここで特に大事になってくるのは、「どのように」やるか、というところ。
細かく言えば、「物語・小説/説明・論説/随筆/詩・短歌・俳句」といった文種ごとに「どう読むか/どう答えるか」がポイントになってきます。
以上のように「読解力」と学習の方向付けを考えた上で、今後コラムを進めていきたいと思います。扱おうとしているのが重要な命題なだけに、勝手ながら数回に分けさせて頂きます。続きはまたいずれ。
つたない文章ですが、最後までお読み頂き、またご理解頂き(?)、誠に有り難う御座います。きっとパワーを使って、お疲れになったことでしょう。お疲れついでにK田のくだらない編集後記もぜひ読んでやって下さい<(_
_)>
|