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じゅくちょ〜のホンネ |

from kuro
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vol.17 「『報酬と罰』という妙薬」 |
「お母さん、今度のテスト良かったら○○買ってね!」と子どもに言われたこと、もしくは「△番以内に入ったらごほうびあげるからがんばってね!」と言ってしまったことってありませんか?
子どもを「モノで釣る」と言うと、あまり良い印象がありませんが、やる気を向上させたり、困難なことに取り組ませようとするとき「報酬」が大きな効果を生むことは周知のことでしょう。
子どもにやる気を持たせるために「ごほうび」を約束する。「今度のテストで満点とったらゲーム買ってあげる」とか「偏差値が10上がったら1万円あげる」、そういうごほうび=報酬を用意してやると概して子どものやる気は高まります。報酬でやる気にさせる方法を心理学的には「外発的動機付け」と言います。この方法、当初のねらい通りにやる気になって結果を出してくれるなら大歓迎なんですが、実はいくつか問題があります。
まず第一に、報酬は次第にエスカレートしていきます。同じモノばかりだと人間は慣れていきます。常に新鮮で魅力的なモノにしようとしたらどんどん高価にならざるを得ず、歯止めがきかなくなってしまいます。刺激を失わない程度にうまく報酬を用意するのは至難の業なのかもしれません。
また、欲求を刺激する報酬は人それぞれに異なるという点も問題です。ある子にとって千円相当のモノ(あるいは現金?)は大きな報酬でも、別の子には大して訴求力がないということもあるはずです。金額の多寡、言い換えるなら報酬のレートは子どもの置かれた環境で異なります。だからどの程度の何を報酬としたらいいかというところの判断はむずかしい。
さらに、良い行動には常に報酬があると思いこまれると困ります。一生懸命仕事をしたらすぐ報われるかというとそうでもない。その場での即効性はなくともいずれ何かの実をつける種になる、もしくは種を植え付ける畑になる、ということもあるはず。実利的な報酬がなければ頑張る意味がないという誤解だけは与えないようにしないといけません。
だから何かをしたらごほうびをあげるという動機付けは決して万能ではないということになります。そこで、もうひとつ、「内発的動機付け」と呼ばれる報酬があります。
活動自体の中に報酬があれば前述のような問題はおきなくなります。勉強して分かるということ自体が楽しい、ピアノを弾くこと自体が好き、というように、その活動そのものが楽しいと思えれば、外からの報酬は必要なくなるわけです。
たとえば「3ヶ月で5`ダイエットしたら1万円」とご主人に言われて、始めて見たんだけど、途中でダイエットしてきれいになっていく自分に気付いて、ダイエットすること自体が楽しくなる、という例がお母さま方にはわかりやすいかな(笑)。
しかし、人間には向き不向きがあって、活動自体を楽しいと思えるケースは少ないし、具体的な報酬ではないために精神年齢が高くないと理解しにくいのが内発的動機付けの問題点。だから、一般的には外発的動機付けが報酬の中心になっていき、保護者の多くが報酬の中身に頭を悩ませたり、また「報酬を目的にして勉強させるなんて論外」と頭ごなしに報酬反対を訴えるようなケースも出てくるのでしょう。
報酬の問題点をついて出てくるのが「アメとムチ」のムチの方。ある行動に対して罰を与えれば、その行動をあらためるだろう、という考え方です。
「また順位が落ちたらおこづかいなし」
「今度も赤点だったらケータイ没収」
「次も同じミスをしたら始末書と減俸」
こうした罰を用意すれば、ペナルティを恐れて頑張るためそれなりの効果はありますが、残念ながら副作用が多いのが難点です。
罰せられた相手に対して反抗心を持つようになったり、罰則を与える与えられるという結びつきのため人間関係が冷えてしまったり、失敗してしかられるくらいなら最初から失敗しないように新たな挑戦をしなくなるということも起こります。また「報酬」の場合同様、罰の程度によっては慣れて効果がなくなることもあるでしょう。やはり罰も程度問題ということになります。
結局、「罰」に全て任せるのではなく、そうならないようにしていくために相手に手を貸してやる、どうやったらいいか分からない子どもに対して、放り投げるのではなくいっしょにやって教えてやる、それができたらほめたりごほうびをあげる、というのが「罰」を利用するコツなんでしょう。
やはり、報酬も罰も万能ではなく、心の通じ合いや気配りがあった上での程度問題だと思った方がいいでしょう。日々お忙しいお父さまやお母さま方にとって、報酬と罰は子どもを意のままに動かす「妙薬」のようにうつっているのかもしれませんが、くれぐれも使用上の注意を熟読の上、服用いただいた方が良いでしょう。
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