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じゅくちょ〜のホンネ |

from kuro
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vol.6 「良問」 |
ウチのような小さな塾では、じゅくちょ〜と言えどデスクワークのみならずバリバリ授業を担当しないといけません。週6日間国語を教える現役講師は、当然のことながら入試問題も解かないといけません。今年も数多くの入試問題を解きました。
「う〜ん、グッジョ!」と感心する問題もありますが、「つまんね」、「面白くね〜」と放り出してしまうものもあるし、時には「何なんだ、これは?」と出題意図の理解に苦しむ悪問もないじゃない。どうも国語というのは、一般的には攻略が難しく、得意な人が大失敗するかと思えば、不得意でもハマれば得点できるという「よ〜わからん」ところがあり、良くも悪くも当てにできない教科と思われているらしく(実際はそうじゃありません!)、問題の巧拙についてはあまり語られないようです。
12歳の子どもの学力をはかる国語の入試問題として「良問」とは一体どういうものなのか?
ボクなりの私見をご紹介すれば、まず第一に、「高度な言語・文法知識を問うものではなく、常識的な日本語の運用力をはかる」ものであること。いくら言葉は覚えるものと言われても、オトナでさえ満足に使えないような語句や慣用表現を問うのは無理があるでしょう。
次に、「論旨の展開に無理のない文章で、論理的な読解力をはかる」問題。文章の素材選びは読解作問の腕の見せ所。どんな文章をチョイスするかで、問題の方向性やレベルが決まってきます。くれぐれも作問者の主観をまじえないこと。客観的に表現と展開に優れた文章を選ばなければ良い問題にはなりません。
さらに、「文章記述を通して、内容把握や自分の考えを的確に表現する力をはかる」という点も大切です。ただ機械的に記号を選んだり、○×をつけるのではなく、問われた視点に対して文章で解答する表現力を問う問題は、受験者の総合的な国語力をはかる上で大変有効です。
以上3点のバランスがとれた入試問題を「良問」と定義して良いのではないかと思っています。とは言え、その微妙なバランスを実現するのは至難の業であることも同業者(国語講師という意味)として十分承知しています。だって、どんなに良い問題を作っても、選抜する受験生のレベルとの整合性がなければ無意味。選抜する受験生が戦えるレベルでなければ試験問題の役割を果たすことができません。だから、もしかしたら、ボクが「つまんね」と評した問題は受験生のレベルを十分(?)考慮した、ある意味、「妥協の産物」なのかも知れません。(もちろん、作問能力の欠如の結果という場合もあるでしょうが…)。
一方、自他共に認めるトップ校の入試問題は受験生の学力レベルとの整合性に悩む作問者のジレンマとは無縁のところで作問した完成度の高い問題が多いのも確かです。それも選抜試験としてだけでなく、国語力向上のための演習問題としても有効な「名作」ぞろい。ま、それも名工が腕をふるうだけの舞台があるからこそ可能な訳で。(そんな問題を作りたくても作れない先生にしてみれば、グチのひとつも言いたくなるかな)
そんなこんなが分かっていながら、生意気にも「良問だ〜」、「つまんね〜」と評するのも、勘とか運とかに左右されず、受験生の努力を正しくはかるものであってほしいという切なる願いゆえ。たかが塾講が学校が総力を挙げ、威信をかけて作成した入試問題にケチをつけるなど身の程知らずもいいところ、だというのは重々承知しておりますです、ハイ。
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